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子育て

2014年9月 8日 (月)

「平和のための子どものつどい」で話された戦争体験談(No2)

 チューリップ班の"平和のための子どものつどい"でのOさん(大原班)のお話しを紹介します。 (No2) 

バックナンバー (No1)へのリンク

 6月の船の中は蒸し暑く、狭い部屋を3段に区切り、ぎゅうぎゅうづめの状態です。座ると身動きもできないし、上の段から子どものおしっこが流れてきたり、もうめちゃくちゃでした。友達と船内に居ることをあきらめ、甲板に出てそこで寝起きしました。
 コロ島から博多港まで一週間、博多港についても、また消毒をするためすぐには下船させてもらえませんでした。アメリカ兵が日本の女性を連れて、物珍しそうに船を見に来ていました。
 満州にいるときは気持ちが張っていたのですが、日本について初めて涙が出ました。

 戦争は、男性は兵隊となり、お国のためと教育され命を差し出さなくてはなりませんが、女性は別の危険と常に隣り合わせ。人としての心を持てなくなります。いまから68年前のことです。
 日本に帰ってきてからも、すべてをなくし何も持っていないわけですから、これからどう生きていくのか考えなくてはなりませんでした。戦争はむごいものです。

 後に結婚するはずだった兄の消息を知ることになります。4年も当時のソ連に抑留されていて日本へ戻ってきたそうです。亡くなったものと思い、結婚の話はなかったことになっていましたので、それきりお会いすることはありませんでした。ご苦労されて戻ってこられたとのこと。少し安心しました。
 戦争は多くの人生を狂わせます。そんな時代を二度と繰り返してはいけないとの思いが強くあります。

 憲法が変えられようとしている今、戦争前夜のような不穏な動きを感じます。
子どもや孫を守りたいという気持ちで、今後も微力ながら頑張っていきたいと思います。

2014年8月29日 (金)

「平和のための子どものつどい」で話された戦争体験談(No1)

 チューリップ班の"平和のための子どものつどい"でのOさん(大原班)のお話しを紹介します。 (No1)

私の戦争体験を少し話をさせていただきます。

 第二次世界大戦が始まったのが13歳の時でした。
釜山の女学校1年生、昭和16年12月8日、先生が「戦争が始まったので、みんな心して毎日を暮らしてください。」と言われたのを覚えています。それでもなんとなく変わりない毎日を送っていました。朝は電車通学、時間通り学校へ行き、丘の上の神社の掃除をするのが日課でした。そのうちだんだんとまわりが厳しくなり、おじさんからの送金も止まり、学校にも行けなくなりました。それが3年生のはじめの頃です。

 その後、奉天のおじのところに身を寄せました。おじさんは貿易の商売をしていましたが、船を戦争にとられ商売が思うようにできなくなり、戦況もどんどん悪くなるので九州に戻ることが決まります。兄は義勇軍に志願して満州へ行っていました。兄は妹の私を心配して自分の親友と勝手に縁談をきめ、私は言われたとおり嫁ぐため再び満州へ渡りました。これが昭和20年5月23日、17歳の時です。

 結婚のため再度満州へ行ったわけですが、相手の男性にまもなく赤紙(召集令状)がきました。7月29日に赤紙がきて、翌日には入隊するようにとのこと、なにも決めることもなく入隊して行きました。その後に1人残されて心細い思いをしていましたが、女1人での生活は危険だということで、近所の知人の家に同居させてもらうことになりました。住んでいたところから1キロくらいのところで、中国軍と八路軍の抗争がありました。流れ弾が笛のような音を立てて、近くを飛び交いました。

 そうするうちに8月15日の終戦を迎えます。終戦後はいつ中国人が襲撃に来るかわからないような状況で、リュック一つを背負い学校の講堂に集まるように知らせが来ました。50世帯くらいが一緒に生活するため、食事など大変でした。手持ちの食料を集めて、大鍋で充分とは言えないようなものを食べる日々でした。そんななかで中国兵が女を出すようにと言ってくるので、若い女性たちは頭を坊主にして、鍋炭などで顔を汚し男のように装っていました。

そんなある日、中国兵が私たちの集団のところにもやってきました。私は前もって天井裏の垂木に捕まり、息を殺していました。18歳から25歳までの女を出せと言って、責任者に銃を突きつけていました。私は天井裏の隙間から震えながら見ていました。それからは、床下に隠れたり天井に隠れたりの生活でした。いつものような隠れ方では危ないとの情報が入ったときは、11月で川に氷が張るような寒さの中、裸足で遠くまで歩いていき、草むらに隠れて一晩を過ごしたときもあります。
 私たちを守るということは、自分をも危険にさらすということなのですが、当時の責任者おもに老人なんですが・・・、よく守ってくれたと思います。
 そしていよいよ厳しくなってきたとき、1包みの赤い薬(青酸カリ)を渡されました。「辱めを受けるときには、これを飲みなさい」ということです。
 一緒に逃げている中に、かわいい女の子がいました。4歳の君枝ちゃん、今でも思い出します。布を見つけてはお人形を作ってあげたりしてかわいがっていました。その女の子も飢えと寒さで、朝目覚めると冷たくなっていました。
小さな箱を棺にみたて、作ってあげたお人形を一緒に入れて、凍りついた土を掘って埋葬しました。

 それから春が来て初夏がきた頃、引き上げの話が決まりました。すぐに支度をして、駅に貨物列車がくるのでそれに乗るように指示され、とるものもとりあえず、少ない荷物を持って乗り込むことになります。貨物列車で、立ったまま身動きもできないくらいに積み込まれて8時間、コロ島というところにつきます。列車を降りて引き揚げ船を待つ間、トイレに行こうと5人くらいで列を外れました。トイレをすませて出てくると、後ろから背中を硬いものでつつかれました。振り返ると日本兵に銃を突きつけられていました。この兵隊の機嫌を損ねたら命がない・・・。兵隊としては脅しなんだと思いますが、気持ちのいいものではありません。手を頭の上にあげ、急いで列に戻りました。

 コロ島は日本人の住宅がたくさんあったところでしたが、床板も天井板もみんな中国人が持って行って屋根しかないところに2日間泊まりました。乗船する前に「消毒」するため、2日間そこにとどめられたのです。その夜にも女を出せと兵隊がやってきました。天袋があったので、その奥に横たわる荷物をぎっしり詰めて並べ隠してもらい、難を逃れました。懐中電灯を持って、かわるがわる兵隊がやってきて、生きた心地がしなかったのを覚えています。
 その翌日、やっと引き揚げ船に乗船できたときはこれで安心だとほっとしました。

(No2)に続く。

2014年6月18日 (水)

中学3年まで医療費を無料に!

中学3年まで医療費を無料に!
子ども医療費署名スタート結成集会が開かれました

「中学3年まで医療費無料化をすすめる会」は結成集会を開き、会場いっぱいの70人が集まりました。はじめに、中山いくみ市議(日本共産党)が「なぜこの署名に取り組むのか 子どもに冷たい高島市政」と題して講演。福岡市の子ども医療費助成が通院で就学前までと政令市最低水準にとどめている高島市政の公約違反を批判し、中3までの無料化には27億円の予算が必要だが、毎年100億円の人工島事業の浪費をやめれば可能だと解明しました。呼びかけ人のひとり、石村善治・福大名誉教授は子ども医療費の国際的比較として「ヨーロッパでは青少年(高校3年)まで無料が当たり前。日本も速く世界水準に」と語りました。つづいて、元養護教諭の坊野さんが医療費が払えないと言って病院に行けない子どもの実例を紹介し、3児の母親であるMさんは赤ちゃんを抱えて「上の子が小学校に上がり、ママ友と医療費大変だねと話し合っている。ぜひ無料に!」と発言しました。その後、会の名称、呼びかけ人、代表、事務局から提案し承認しました。またカンパも37人から40,200円寄せられました。ありがとうございました。

すすめる会News No.1
署名目標は10万です。

代表の檜和田葉子さんよりメッセージです。
福岡市長は「子どもの医療費助成拡充」を掲げ当選しましたが、公約ではないと言っています。子どもをだしにして、メディアを利用し有権者をだます市長はいりません。この署名で市民の生活や子どもの命を守る福岡市に変えましょう!!

署名目標については、市内の小中学生の人数にほぼ匹敵する10万を提起。国保引き下げなど近年の署名運動でも、数ヶ月で10万前後の署名が集められることも示しつつ、「子育て世代の全世帯に届けよう」「PTA・幼稚園・保育園・小児科・病院・歯科医院などに働きかけよう」と訴えました。第一次提出は9月議会です。提案事項が承認され、代表に就任した檜和田葉子さんがあいさつ。各区毎に集まって今後の運動について相談し、閉会しました。

記者会見があります。
6月19日

16:45 市役所1Fに集合
17:00 市政記者クラブ(市役所10階)にて会見 ※多数ご参加ください。
18:30 7階第1・2応接室 各区代表者会議

事務局 連絡先
早良区城西3-4-11 新婦人早良支部 気付

2014年3月20日 (木)

輝け子どもたち 第11回~第15回

さわら支部ニュースに連載されている「輝け子どもたち」を5回ずつまとめて掲載します。

 輝け子どもたち 第11回 子どもの権利①
 今回から、「子どもの権利」について考えていきたいと思います。喜多明人さんら4人の方が書かれた「イラスト版子どもの権利」(合同出版)という本の中から大事と思うところをご紹介していきます。
 「権利」は英語の「Rights」を日本語に訳したものですがもともとの意味は「当たり前のもの」「正当なもの」ということです。
1989年11月20日、国連総会は「子どもの権利条約」を満場一致で採択しました。この条約によって、子ども自身が権利を行使する主体、権利実現の担い手として初めて登場しました。それまでは、子どもが権利の主体であることは認めても、子ども自身が権利を行使することはできないので、おとなの側が子どもに代わって権利を行使したり、保障すべきと考えられていました。それで、子どもの権利について知っておかなくてはならないのはおとな側で子どもの権利を子ども自身が学ぶという視点が欠けていたそうです。
(早良支部ニュース2012.4.26掲載)

 輝け子どもたち 第12回 子どもの権利②

 おとながよいと判断したものを子どもたちに与え、悪いと判断されるものから子どもを守るというだけでは、子どもが幸せになっていないのではないか。子どもにとって何が良くて何が悪いかを判断するときは、子どもの意思を尊重することも大切(12条 子どもの意見表明権)であるし、大人社会に対して市民として子どもが参加していく道を拓くため、表現・情報の自由、思想・宗教の自由、結社集会の自由などの、市民的権利も子どもの権利の中に含めよう。そして、国は、「子どもの権利」の内容をおとなだけではなく子どもにも広く知らせないといけない。
 1989年に国連で採択された子どもの権利条約は、そういう考え方にたっています。
(早良支部ニュース2012.5.10掲載)

 輝け子どもたち 第13回 子どもの権利③

 日本の社会は、子どもの権利を大人側が保障していくことには慣れていても、子ども自ら権利を実現するために意見表明・参加してくることには当惑・反発しました。
 バブル崩壊で余裕を失ったおとな社会の中で、子どもの未熟さや失敗に対する寛容さも失われ、少年事件がおきるたびに、子どもには「権利よりも責任」と言う世論が吹き出て、2000年の少年法改正(中学生にも刑事罰を科す)へと突き進んでしまいました。
 「そんな生意気なことはやるべきことをやってから言え」「ちゃんと責任を果たせないのに権利なんて言うな」
・・・次回は、この「責任・義務を果たせないなら権利を与えない」という論理について考えます。
(早良支部ニュース2012.5.17掲載)

 輝け子どもたち 第14回 子どもの権利④
 「責任・義務を果たせないなら権利をあたえない」という論理は、おとなにとって都合の良い論理です。しかし、権利と義務はいつも対なのでしょうか。例えば憲法26条には子ども(国民)の教育を受ける権利が定められていますが、その権利を保障する義務は保護者と国にあり、子供は義務を負うとはされていません。
 このように権利の主体である子どもと、これを保障する義務主体(保護者・国など)は、普通は別になっています。「権利」とは、もともと「当たり前のもの」「正当なもの」という意味です。
 (国連「子どもの権利条約」に)この世に生まれたら、その命を奪われず、発達を保障される権利(第6条)/名前・国籍を得る権利(第7条)/親から分離されない権利(第9条)/虐待・放任から保護される権利(第19条)などがあるのは当然のことであり、それを保障されなければならないのです。
(早良支部ニュース2012.5.24掲載)

 輝け子どもたち 第15回 子どもの権利⑤

 権利というのは、人として生まれ育つ上で当たり前に認められなければならないのですが、日本社会で「子どもの権利」がなかなか受け入れられないのは、「権利」というと「わがまま」「自分勝手」「怠け」を連想する人がまだまだ多いせいかもしれません。
 「子どもに権利をあたえるとわがままになる、人に迷惑をあたえるような身勝手な行為をするようになる」のでしょうか?そうではないと思います。権利の大切さを知って初めて、自分と同じように他者にもその権利があることが分かり、権利を濫用してはいけないこと、他者の権利を侵害してはいけないことに気づくのではないでしょうか。権利を学ぶことは、他者の権利を尊重する責任・思いやりを学ぶことでもあると思います。
(早良支部ニュース2012.5.31掲載)

2014年2月24日 (月)

輝け子どもたち 第6回~第10回

さわら支部ニュースに連載されている「輝け子どもたち」を5回ずつまとめて掲載します。

 輝け子どもたち 第6回 「話の聴き方」

 先週、子どもの話を「それはちがう」とか「もっとこうしたら?」とか言わずに聴くと書きました。そういうふうに言うと、主導権が子どもから大人に移ってしまうからです。 話が終わるまでは、子どもから主導権を奪わないように、子どもが言うことをおうむ返しにしたり、あいづちをうったり、「そのとき、どんな気持ちだったの?」と聴いたりしながら、最後まで聴きましょう。
 おうむ返ししながら聴くといっても、「ぼく弱虫だから・・・」とこどもがいったとき、「弱虫なのね」と返すのではなく、「自分のことを弱虫だと思ってるんだね」と返すのだそうです。
 みなさん、聴き上手になりましょうね。
(早良支部ニュース2012.3.22掲載)

 輝け子どもたち 第7回

 長い人生の間にはいろんなことがあります。つらいこと、悲しいこともたくさんあります。それをのりこえていく、いわば「人生のうきぶくろ」になるのが「自己肯定感」だといいます。「自分が好き」と思えるということです。
 「自分は人よりこういうことができるから自分が好き」ということではなく、「自分はここに存在していいのだ」という、「存在レベルの自己肯定感」(高垣忠一郎さんのことば)だそうです。そして、それはたぶん、幼いうちに十分に愛され、受け止められることによって育まれるのでしょう。
 その土台の上に、素敵な人と出会い、体験を積み重ねて、「幸せだなぁ」、「人っていいなぁ」と感じられる人生を歩いていってほしいと願っています。
(早良支部ニュース2012.3.29掲載)

 輝け子どもたち 第8回

 前回「自己肯定感」について書きましたが、世界の中で、日本の子どもたちがとびぬけて「自己肯定感」が低いのだそうです。ひょっとしたら、子どもたちだけでなく、大人もかもしれません。
 10年くらい前に子どもの権利条約のワークショップをしたときに、「自分が好き」「まあまあ好き」「どちらかといえばきらい」「きらい」の順に並んでみたのですが「好き」「まあまあ好き」を合わせても2割くらいでした。びっくりして、なぜなんだろうとずっと考えています。「こうありたい」という目標が高くて、そこに届かないから自分が好きになれないのでしょうか?みなさんはどう思われますか?
(早良支部ニュース2012.4.5掲載)

 輝け子どもたち 第9回

 糸島市主催の「発達コロキウム」に参加しました。糸島市では、1999年(当時は前原市)から九大などと共同して、障がいを持って生まれてきた子どもたちの問題に取り組んでこられたそうです。この日は、乳幼児検診担当の保健婦、子育て支援担当職員、保育士、教育委員会、小学校・特別支援学校・大学の先生、臨床心理士、議員、福祉施設の職員、手をつなぐ親の会の方などが参加され、6人の方からの実践報告と特別支援学校の先生の講演があり、グループ討論・ディスカッションが行われました。
 グループ討議の中で関係者が口々に言っておられたのは、「発達障害を見つけるのは早いほど良い」「早く療育を始めれば、2次障害を防げる」「わが子に発達障害があると認める(受容する)のはつらいが、保護者が受容できていると、適切な対処ができる」ということでした。まわりに気になる子がいる時に、その子と保護者の方に対し適切な支援ができるように、学ばないといけないと思いました。
(早良支部ニュース2012.4.12掲載)

 輝け子どもたち 第10回
 全国5地域の小中学校実態調査の結果、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」ことに著しい困難を示したり、「不注意」「多動性ー衝動性」「対人関係やこだわり」等の問題を著しく示す児童生徒が、通常学級に約6.3%在籍していたそうです。2007年から、こうした「学習障がい」「注意欠陥/多動性障がい」「自閉症」などの「発達障がい」を視野に入れた「特別支援教育」がスタートしました。
 「発達障がい」は、脳に器質的障がいがあるため、発達に遅れや偏りがあるのであって、決して本人の努力不足とか、親の育て方の問題ではありません。だからこそ、早く発見して、適切な支援を受けることが必要です。もしわが子がひょっとしたら発達障がいかもしれないと思ったときは発達教育センターなどの専門機関に早めに相談なさってください。
(早良支部ニュース2012.4.17掲載)

☆輝け子どもたち 第1回~第5回☆

2014年2月 5日 (水)

輝け子どもたち 第1回~第5回

さわら支部ニュースに連載されている「輝け子どもたち」を5回ずつまとめて掲載します。

輝け子どもたち 第1回

 今週から、子どもと教育部のコーナーをつくっていただくことになりました。よろしくお願いします。
 最初に私事ですが、去年、初孫を授かりました。娘夫婦あてのお祝いのはがきにたしかこう書きました。「宗教心のない私が言うのも変だけれど、子どもは、神様から預かったと思って、自立できるまで大切に育ててね」
 ひとつのいのちがこの世に誕生するということはそれだけでもう奇跡なのだそうです。そして子どもは親のものであるけれども同時に親とは違った人間であり、次の世代を担う新しい仕事をする独立した人格です。
 どのいのちも大切に育てられ、輝きますように。
(早良支部ニュース2012.2.16掲載)

輝け子どもたち 第2回

2月12日に、「子ども・子育て新システム」をストップさせるための緊急学習会に参加しました。もと保育園園長の石川幸枝さんのお話より。
①現在は、児童福祉法の2条と24条で、子どもたちを保育する責任は国と自治体にあり、国が「最低基準」をつくってお金も出す。保育料は保護者の所得に応じて決まる。
②新システムは、「国はめんどうみません。市町村でやってください」ということ。保護者は自分で保育園を探さないといけなくなる。
③保育時間が6時間と11時間の2通りになる。
④消費税増税が前提で、保育予算を増やすと消費税がアップする仕組みに。
・・・「どの子も大切に」という考え方とは逆の「改革」だということがよくわかりました。山場は3月とのこと。なんとしてもストップさせなければなりませんね。
(早良支部ニュース2012.2.23掲載)

 輝け子どもたち 第3回

 先週、「子ども・子育て新システム」について書きましたが、2/23付けの新婦人しんぶん2面の新婦人中央本部副会長の談話を読んでいただくとよくわかると思います。本当に、「新システム」をストップさせなくてはなりませんね。
 さて、今週は「子どもは大人のパートナー」ということについて。
 この言葉は、弁護士の坪井節子さんが書かれた本のタイトルです。「子どもの権利条約」が国連で採択された翌年の1990年「子どもの非行防止のための国連ガイドライン」の中にあった「大人と子どもの対等かつ全面的なパートナーシップ」ということばに衝撃を受けた坪井さんは、自分の子ども3人との間で本当にパートナーとしての関係が作れるかどうか、10年ほど試行錯誤されたそうです。そして「今ではパートナーシップは共同生活を維持していくのに、最もふさわしい関係だと言えるまでになっている」と書かれています。次回に続く。
(早良支部ニュース2012.3.1掲載)

 輝け子どもたち 第4回
「子どもは大人のパートナー」前回の続き

パートナーというのは、お互いに独立した人間同士の対等な関係です。夫婦の間でもなかなか難しいのに、親子の間でパートナー関係をつくるなんて簡単なことではありません。でも、もしそれができたら、親も子も幸せな人生を生きていけるのではないでしょうか。そのためにはやはり、大人の側のこころがまえが必要だと思います。子どもをひとりの人間として尊重するということ。ひとりでは何もできない弱い存在に見えるけども自分で育っていく力をもっている。
 大人の仕事は、それをサポートすること。子どもの言葉をていねいに聴き、真剣に受け答えする。アドバイスや助言はしても、最後は子どものことは子ども自身に選ばせる。
 一日一日のそういう積み重ねの上に、お互いに自立しながら支え合うパートナー関係がつくられていくのではないでしょうか。
(早良支部ニュース2012.3.8掲載)

輝け子どもたち 第5回

「子どもの話をていねいに聴く」

「子どもをひとりの人間として尊重する」上でとても大事なことのひとつは、子どもの話をきちんと聴くということです。「聴」という漢字には人の言葉を「まっすぐに、耳をむけてききとる」という意味があり、単にぼんやりと「聞く」のではなく、話し手の気持ちを受け止めて「聴く」のです。もちろん、子どもが「聴いてほしい」と思っている時にです。
「ねえねえ」と聴いてほしそうな時はもちろん、なんだか元気がない様子の時に「どげんしたと?」と話しかけたりして、途中で「それはちがうやろ」とか「こうしたらいい」とか言いたくなってもがまんして、ひたすら聴くのです。聴いてもらうことはうれしいことです。大事にされていると実感できます。元気が出ます。わたしたち大人だってそうですよね。
(早良支部ニュース2012.3.15掲載)

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