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2014年8月29日 (金)

「平和のための子どものつどい」で話された戦争体験談(No1)

 チューリップ班の"平和のための子どものつどい"でのOさん(大原班)のお話しを紹介します。 (No1)

私の戦争体験を少し話をさせていただきます。

 第二次世界大戦が始まったのが13歳の時でした。
釜山の女学校1年生、昭和16年12月8日、先生が「戦争が始まったので、みんな心して毎日を暮らしてください。」と言われたのを覚えています。それでもなんとなく変わりない毎日を送っていました。朝は電車通学、時間通り学校へ行き、丘の上の神社の掃除をするのが日課でした。そのうちだんだんとまわりが厳しくなり、おじさんからの送金も止まり、学校にも行けなくなりました。それが3年生のはじめの頃です。

 その後、奉天のおじのところに身を寄せました。おじさんは貿易の商売をしていましたが、船を戦争にとられ商売が思うようにできなくなり、戦況もどんどん悪くなるので九州に戻ることが決まります。兄は義勇軍に志願して満州へ行っていました。兄は妹の私を心配して自分の親友と勝手に縁談をきめ、私は言われたとおり嫁ぐため再び満州へ渡りました。これが昭和20年5月23日、17歳の時です。

 結婚のため再度満州へ行ったわけですが、相手の男性にまもなく赤紙(召集令状)がきました。7月29日に赤紙がきて、翌日には入隊するようにとのこと、なにも決めることもなく入隊して行きました。その後に1人残されて心細い思いをしていましたが、女1人での生活は危険だということで、近所の知人の家に同居させてもらうことになりました。住んでいたところから1キロくらいのところで、中国軍と八路軍の抗争がありました。流れ弾が笛のような音を立てて、近くを飛び交いました。

 そうするうちに8月15日の終戦を迎えます。終戦後はいつ中国人が襲撃に来るかわからないような状況で、リュック一つを背負い学校の講堂に集まるように知らせが来ました。50世帯くらいが一緒に生活するため、食事など大変でした。手持ちの食料を集めて、大鍋で充分とは言えないようなものを食べる日々でした。そんななかで中国兵が女を出すようにと言ってくるので、若い女性たちは頭を坊主にして、鍋炭などで顔を汚し男のように装っていました。

そんなある日、中国兵が私たちの集団のところにもやってきました。私は前もって天井裏の垂木に捕まり、息を殺していました。18歳から25歳までの女を出せと言って、責任者に銃を突きつけていました。私は天井裏の隙間から震えながら見ていました。それからは、床下に隠れたり天井に隠れたりの生活でした。いつものような隠れ方では危ないとの情報が入ったときは、11月で川に氷が張るような寒さの中、裸足で遠くまで歩いていき、草むらに隠れて一晩を過ごしたときもあります。
 私たちを守るということは、自分をも危険にさらすということなのですが、当時の責任者おもに老人なんですが・・・、よく守ってくれたと思います。
 そしていよいよ厳しくなってきたとき、1包みの赤い薬(青酸カリ)を渡されました。「辱めを受けるときには、これを飲みなさい」ということです。
 一緒に逃げている中に、かわいい女の子がいました。4歳の君枝ちゃん、今でも思い出します。布を見つけてはお人形を作ってあげたりしてかわいがっていました。その女の子も飢えと寒さで、朝目覚めると冷たくなっていました。
小さな箱を棺にみたて、作ってあげたお人形を一緒に入れて、凍りついた土を掘って埋葬しました。

 それから春が来て初夏がきた頃、引き上げの話が決まりました。すぐに支度をして、駅に貨物列車がくるのでそれに乗るように指示され、とるものもとりあえず、少ない荷物を持って乗り込むことになります。貨物列車で、立ったまま身動きもできないくらいに積み込まれて8時間、コロ島というところにつきます。列車を降りて引き揚げ船を待つ間、トイレに行こうと5人くらいで列を外れました。トイレをすませて出てくると、後ろから背中を硬いものでつつかれました。振り返ると日本兵に銃を突きつけられていました。この兵隊の機嫌を損ねたら命がない・・・。兵隊としては脅しなんだと思いますが、気持ちのいいものではありません。手を頭の上にあげ、急いで列に戻りました。

 コロ島は日本人の住宅がたくさんあったところでしたが、床板も天井板もみんな中国人が持って行って屋根しかないところに2日間泊まりました。乗船する前に「消毒」するため、2日間そこにとどめられたのです。その夜にも女を出せと兵隊がやってきました。天袋があったので、その奥に横たわる荷物をぎっしり詰めて並べ隠してもらい、難を逃れました。懐中電灯を持って、かわるがわる兵隊がやってきて、生きた心地がしなかったのを覚えています。
 その翌日、やっと引き揚げ船に乗船できたときはこれで安心だとほっとしました。

(No2)に続く。

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