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2014年7月29日 (火)

「九州玄海原発訴訟」第10回裁判 意見陳述 -NO1-

 7月4日、佐賀地方裁判所で、「九州玄海原発訴訟」第10回裁判がおこなわれました。作家の早乙女勝元さんと後藤文治さんのお2人が意見陳述をされました。
今週から、数回に分けて、後藤文治さんの意見陳述をシリーズで紹介します。

※後藤さんの夫人和代さんは福島の新婦人会員として活躍されていた方です。
3月に福島支部から転籍のお知らせが届き、現在チューリップ班に所属されています。

意見陳述書 後藤文治 -NO1-

第1 はじめに
 
 私は、乳製品を作る企業に勤め、1966年5月に転勤で福島に来ました。その後、福島で結婚し、2人の子どもを育て、福島で定年を迎えた後は介護の仕事をしながら好きな釣りと家庭菜園をして48年にわたって福島で暮らしてきました。この意見陳述では私のささやかな幸せや友人関係が原発事故によっていかに破壊されていったかについて述べさせていただきます。

第2 震災当時の様子

 2011年3月11日の震災当時、私は、妻と長女と3人で福島市内にある団地に住んでいました。東京電力福島第一原発から北西に約60kmのところです。私の家はたまたま固い地盤の上に建っていたためか、地震の被害はわずかでしたが、その後、食料品や水が不足するという過酷な日々が始まりました。私は、原発が爆発したことや避難指示区域が原発から20キロ、30キロと線引きされる様子をテレビで見ながら、福島市内には何の指示も出なかったので、私たちの住む場所は放射能汚染の心配はないのだと思っていました。
 事故から数ヶ月後、私は自宅の放射能線量を測りました。すると室内で毎時0.5マイクロシーベルト、庭では1~1.5マイクロシーベルト、桶から流れ落ちる水の所や側溝の砂は3~3.8マイクロシーベルトでした。私はこの数値を見て、福島市内も危ない、政府は信じられない、ここで生活し続けていいのかと焦りました。自分も被曝している、自分の住む場所も放射能で汚染されていることを痛感したのです。

(次回に続く)

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